中野工務店ストーリーvol.3

中野工務店の歴史

中野工務店は1910年・明治43年に個人事業として創業しました。
日英同盟が結ばれ、日露戦争の余韻が残る時代でした。
そんな激動の時代の中、中野工務店はスタートしました。

急速な近代化が進んだ時代でもあり、それは大工にとっても大きな影響がありました。 西洋の建築技術が流れ込み、日本に古くから伝わる建築技術と混ざり始めました。 今の私たちにとっては、これが現代の一般的な住宅の基礎となっていることを強く感じます。
そんな中、初代の中野藤太郎は勤勉に働き、よく技を磨いたと聞いています。第一次世界大戦の影響による大正バブルの時代も、その後の戦後恐慌の時代も、「人様が安心して住める家をつくる」という信条を貫き、二代目・中野誠一へ経営のバトンをタッチしました。

二代目・中野誠一の時代、日本は高度成長期に入りました。「家を建てたい!」という方が後を絶たず、必死で家を建てたそうです。二代目・中野誠一は、「家を建てて、お金をもらえて、喜んでもらえる。これ以上いい仕事はない!」とよく言っていました。 高度成長期というのは、本当に凄かったらしく、みんな本当に勤勉に働いたそうです。そして、毎日心身ともに疲れ果てた状態で家に帰るのですから、マイホームというのは本当に心地良い場所でなければならなかったのだと思います。

三代目・中野祥司の時代は、まさにバブルがはじけた時代でした。不景気の中では、確かな技術が会社を助けてくれる。そう強く感じたそうです。また、大工として地域に貢献することも重要だと。三代目・中野祥司は見習い中から現在までに数々の技術者表彰をいただき、職業訓練校での後進の育成にも力を入れていました。

そして、平成の時代の中、現在の四代目・中野雅仁へバトンが渡されました。 正直、難しい時代です。いろいろなことが選べるようになった反面、選ぶことが難しくなった時代でもあります。大工も一筋縄ではいかず、多くのことを細かいところまで求められるようになりました。
しかし、中野工務店は負けるわけにはいきません。背負ってみた歴史は、思っていたよりも重く、「お客様の住まいの夢を叶えること」へのプレッシャーとなって心に深く刻み込まれています。
逆に言えば、先代より受け継いだこの重みこそが代々の中野が必死に大工に励む理由なのかもしれません。ちょっとかっこいい言い方をしてしまうと、これからお会いするお客様にご満足いただけないということは、歴代の中野のプライド(誇り)を傷つけてしまうような気がするのです(笑

四代目・中野雅仁は、今の時代で精進いたします。五代目の誕生まで。

中野工務店ストーリーvol.4≫

  • 技術を磨け!お寺を建てる工務店
  • あきらめないで!マイホームの夢
  • 中野工務店の歴史
  • ちょっと不思議な四代目
  • 和ごころ感じる住まい「にっぽんの家」
  • スタイリッシュな平屋の家
  • 家族の声が聞こえる「平屋の家」
  • エアサイクル工法採用「快適エコの家」